秋津野の里は古い里

秋津野ガルテンから歩いて5分の千光寺 天空の神社 龍神山竜神宮 

 今から1,200年前、和気清麻呂(733〜799)が大切にしていた鷹が死にました。その遺骨を三つに分け、紀州の高尾山と、都の高雄山と、郷里の備前の高尾山に分けて葬ったそうです。その時紀州の高尾山には千光寺を建て、都の高雄には神護寺を建て、手厚く弔ったと言われています。その後、豊臣秀吉の紀州攻めにより焼失。麓に小さな堂を建てましたがこれも焼失。平岡の地に移り、この地にあった西光寺を合併して現在の千光寺が建てられました。それ以来、千光寺は近西国礼所二十五番となり、「名にうてし鷹尾の山に来て見れば、もみじ色づく千光りの寺」と詠われています。
 龍神宮は弘法大師がいたと伝えられる霊所で、標高500mの山の頂にあります。神木であるウバメガシは樹齢約400年と推定され、単独で生育しているウバメガシとしては大変貴重で、和歌山県と田辺市の天然記念物に指定されています。
 このほか、上秋津には文化的、歴史的な史跡名所がございます。詳しくは秋津野ガイドマップをご確認下さい。こういった、何処のふるさとにもある歴史や名所そのものが地域資源に結びつきます。

みかん・柑橘、梅の里

全国的にも有名な秋津野の完熟みかん 紀州南高梅の産地
 年間平均気温16.5度C、年間降雨量1650mm、冬でも氷点下に下がることはめずらしい温暖な気候は、柑橘果樹の栽培には最適地です。温州みかんをはじめ、はっさく、甘夏柑、三宝柑、ポンカン、伊予柑、金柑、バレンシアオレンジ、清見など70種類以上もの柑橘類が栽培される地域は他に類を見ません。このため一年中柑橘が収穫出来、上秋津は全国でも数少ないみかんの周年供給基地となっています。日当たりがよく、水はけの良い斜面で栽培されるこれらの果樹は、高品質で、市場評価も高く、いまや秋津野の名はみかんのブランドとなっています。このほか、大石、ソルダムをはじめとするすもも類やキーウィなどの産地としてもしられ、梅の収穫量日本一を誇る田辺市にあって多分にもれず高品質の梅を大量に産出しています。 周年収穫出来る農産物は直売所の運営やグリーンツーリズムのおおきな宝です。地域資源の大きなひとつは、その地域で採れる農産物です。

はやくから地域づくりが

混住がすすむ上秋津地区 秋津野塾組織図
 平成に入る頃から、急激に混住化が進み出し、新旧住民間ではトラブルも聞こえてくるようになった。そこで、「都会にはない香り高い農村文化社会」を実現し、「活力とうるおいのある郷土」を作ろう。そうした理念と目標を掲げて、平成6年9月、秋津野塾は設立された。表をみていただきたい。町内会、上秋津女性の会、老人会、公民館、消防団、小中学校の育友会・PTA、商工会、上秋津を考える会など 24の団体が加盟しています。そして、 11の区と55班が参画する。つまり地域に あるすべての団体が名前を連ね、タテ・ヨコに統合された組織が秋津野塾です。秋津野塾の誕生以来、地域で起こる様々な事柄に、幅広い合意形成を得ながら迅速対応が可能になった。

コミュニティーづくりがはじまり


秋津野花まつり 秋津野夏まつり
 平成のはじめには、約600軒だった世帯が、平成22年には1150軒と約20年間で倍増。こうなると新旧の住民同士で、特に、農家と新住民間でトラブルが出始めてきた。農地に隣接する宅地問題や、文化や生活習慣の差、またこれまで地域社会の決めごとなど、様々なトラブル原因があった。平成6年に誕生した秋津野塾を中心に、壊れかけてきたコミュニティーづくりを行うために、特に地域住民が集まりやすいイベントを催した。特に、子供たちが喜ぶイベントなど増やすことで、親も一緒についてくる。また、新旧住民が同秋津野塾下、ボランティア活動でイベントを催し共に汗を流すの繰り返しが今日も続いている。また農業体験学習も地元の方が先生となり、地域における農業の大切さを教えていった。子供から親へ農業学習で得た情報を、子供から親に伝わることで、地域理解をすすめていった。
 子供の集まるところに、親も集まるといったことで地域内で出会いが生まれだした。

地域づくりと経済の融合

平成15年に新築移転した直売所きてら きてらの特徴は、柑橘が1年中ある!
平成8年に地域づくり表彰事業で天皇杯を頂いてからいろいろな地域づくりを行ってきた。その中で花まつり、高尾山登山マラソン大会会場で、地元で採れるみかんや産物をテント販売したところ好評で、そのままの地域づくりの勢いから直売所を開くことになった。
 平成11年、地域づくり活動に、新たに経済活動も絡めていこうということで、秋津野塾そのまま組織で経営を行うには理解が得られない。また、その組織体制からも困難で(秋津野塾の役員が1年〜2年交代)もあった。
 そこで、これまで地域づくり活動を行ってきた住民に声を掛け、でヤロウ!とういう、住民が一人10万円を持ち寄って、小さな中古のプレハブの倉庫から直売所をスタートさせた。その後の直売所きてらの活動がうまくすすみだし、俺ん家ジュース倶楽部や秋津野ガルテンへとつながって行った。

地域づくりと人材育成

 自分たちが住む地域を、自分たちで考えて、地域をつくり上げていくのが自然の姿かもしれません。しかし、個々の住民の暮らしいや仕事・経済活動で、地域づくり活動に時間をとる余裕がない。そして高齢化が急激に進み、自分たちにはもう時間的余裕も、力も能力もない。と、いった所まで追い込まれしまい、地域に自信をなくし、行政たよりに陥っている地域も見受けられます。
 明日、あなたの地域に、一流企業が工場や働く場所を持ってきてくれるといった夢話を聞いたことがありません。経済のグローバル化で、油断をしていると、あっ!と言っている間に、働く場所さえ失ってしまいます。
 そこで、今、求められているのが、これから地域を支えていく人材の育成ではないでしょうか?年齢は関係有りません。地域づくりと経済活動の両面をバランスをとりながら、地域資源を活かし、新しい地域を作り上げていくリーダーの必要性が今ほど求められている時代は無いでしょう。当紀州熊野地域づくり学校に先駆けて、秋津野では、秋津野地域づくり学校が、平成20年からの3年間開設されました。